WEB幸福喫茶
[347]教えてあげたくて。 06/07/24 23:23
UEkoqJtvXu
るろうのやみさん、残念でしたね・・・
ほんとうは、何回か、メールで連絡できる方法を考えて。
添付してあげようかともおもいましたが。
絶版扱いのものを他人に差し出すということは、
おそらく不ちゅう盗の教えに反するとおもいまして。
あと不用意にメルアドさらせまんしね。

予断ではありますが、私個人的にはミクシィ等でほかの会員さんとかと
つながって情報交換等しております。
チャンスがあれば、ミクシィに参加してみてください。
[348]るろうのやみ 06/07/25 2:00
hygwtOVKLA
私も年金(障害)生活な者ですから、あまりお金を使うわけには参りません。
研修・祈願、二の足を踏むことが多いです。「心の指針」は別ですが。
まだ自宅からそんなに遠くないところに精舎がありますから、交通費も比較的かからず(それでも往復3,000円)いいのですが…。
[349]vaiora 06/07/26 8:38
pLp/quIWlm
「知」が「地」になってるじゃない!

>研修・祈願、二の足を踏むことが多いです。「心の指針」は別ですが。
 
 厳しい懐事情のなかで、何かひとつ継続するというのは、素晴らしいことです。
 ただ、少し気をつけなくてはならないのは、懐が寂しいことで、布施が布施に
ならなくなってしまうという問題です。
 懐事情を考えてどうするか考えるのは、当然といえば当然だし、仕方ないこと
なのかもしれません。
 そんななかでも、心の持ち方ひとつで、随分違った世界が展開します。
 普通の人は、懐具合と相談しますが、それでは対価を払うのと大して変わらない
ことになります。
 「心よりの布施」というのは、まず、布施をするという目的、目標有りきで、
そのためにどうするか?という創意工夫と努力が必要です。
 そういう努力の末の布施は、無限の喜びのなかにあります。
 これが「貧者の一灯」というものであり、本当の功徳を積む行為です。
 これが本当に実感できると、「今までのは単なる寄付でしかなかったのだ」
ということが解ってきます。
 「布施は許されて出来るものなのだ」という悟りの言葉があります。
 @布施する資格のある者は、布施を許される。
 A本来は布施する資格は無いが、布施とは何かを学ぶために、特別に布施の機会が
与えられている。
 一般的に布施と云っているなかには、この2種類があります。
 でも、本当に功徳のある布施は、@の方です。
 Aから@に昇格したときには、自分で実感するので判ります。
 「心よりの布施を受けたまえ」という、ある経文の一節がありますが、
その意味を『修慧』してみてください。
 その上で研修を受けると、すごく学びが深まり、感謝の念いに満ち満ちることでしょう。

 簡単にいうと、懐具合で考えるところからではなく、「研修を受けるためにどうしたらよいか」
というところから始めるのが、本当の布施の精神、学びの精神なんですよ、ということです。 
[350]るろうのやみ 06/07/27 21:15
hygwtOVKLA
> 簡単にいうと、懐具合で考えるところからではなく、「研修を受けるためにどうしたらよいか」
>というところから始めるのが、本当の布施の精神、学びの精神なんですよ、ということです。 

ありがとうございます。
工夫はしているつもりです。
会員でない夫に迷惑をかけないように考えて行動しているつもりです。

本人が「つもり」になっているだけで、実が伴っていない、かも知れません。
[351]青の青 06/07/31 19:11
Ua14vU/gMC
知恵が無いなら汗をかけ、
汗をかけないなら涙を流せ。

言ってみて自分でもようわからんw
まあ、富というものは人徳と繋がっているものだからね

いつも明るく朗らかに、積極性を則とせよ。

自分で言って耳が痛いと・・・
おじゃまいたしました。